【備忘録】何かがストップしたとき、自分の血が自分を苦しめていたことに気づく

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自分の血が自分を苦しめる。
そんな経験をしたので、備忘録も兼ねてここに書き記そう。

誰しもそうですが、

①過去も未来も知り尽くしているわたし
②過去の経験にとらわれるわたし(我ともいうのかもしれない)

魂にはこの2種類が刻まれている。

どうしても、現実世界に適応しようとすればするほど、圧倒的に②が登場しやすい世の中だ。
人間は、過去の積み重ねでできているから、至極、当然のことだろう。

しかし、②の過去の経験で生きる日常のなかにも、
①の過去も未来も全てを知り尽くす片鱗がみえかくれするタイミングがある。
(いや、本当は、常にあるのだろう。しかし、人間の範疇では常にみえない。)

 

いま、進めているプロジェクトがあり、継続できるという確信があってはじめたものだ。
しかし、確かな確信があるのに、なぞのストップがかかる。

相変わらず、運はとてもいいし、感覚も鈍っていない。
しかし、なにかがおかしい。

こういう時は、精神的にも何か落ち込むし、金銭的にも未来に用意されていることが認識できるのにも関わらず、入ってこない。
とても、わかりやすいサイン。

いつまでも、気づかないと、わたしの場合はこのような最終手段を神様はつかってくださる。

 
わからないなら、わかるまで、突き進めるしかない。
もし、わからなかった場合は、終わるので一か八かの選択にはなる。
しかし、わからないと今後、他のプロジェクトにも影響を及ぼしかねないので放置するわけにはいかない。

そんな気持ちが湧いていた。

結果、判明したことは、
自分の血で自分を苦しめていたということ。

 
ビジネスは過去の経験を反映させると、
過去の自分と同じように悩んでいる人に届くことで、金銭を得ることができる。

 
この考え方は、
まったくもって、間違っていない。

しかし、例外でこういうこともある。

過去にとらわれ、過去の器で、進もうとすると
現在の自分の器に見合っていないため、
未来に用意されている豊かさが手に入らない。

もっと、要約するなら、

大きな器なら、手に入るのに
過去のちっぽけなうつはでは、受け取れきれない。

それなのに、過去の器の大きさに合わせて、いつの間にか動いていたのだろう。

 
自分を過信することは良くない。
しかし、自分の今ある器を見誤ることは、ナンセンスだ。

 
そのことを理解したとき、
そのプロジェクトにおける間違いに気づくことができた。

 
そして、一瞬で解放され、春が訪れたかのような
やわらかい、あたたかい気持ちになった。

この経験は、忘れないであろう。